さらに詳しい解説-BASICシリーズ

チェンバロという楽器だけが持つ、他の楽器に見られない特徴のひとつに、豊かな装飾要素があげられる。時にハープやパイプオルガンもその対象になる場合が多いが、やはりチェンバロは突出してその依存度は高い。

楽器博物館などに収められる古い時代の楽器を観察すると、チェンバロに限らずどのような楽器でも、何らかの装飾要素が施されている場合が多い。楽器の本来の性能に影響しない範囲で、控えめに行われる場合が多いが、時には明らかに美術工芸品としての役割を期待したとしか考えられない、装飾楽器とでも呼びたいほどの一例も存在する。

これらの装飾要素は、楽器が現代に生き残る過程で、量産システムに馴染まない要素として切り捨てられてきたことにほかならない。近代産業革命以降の合理性優先によるモノ作りの、ある種宿命のひとつである。

チェンバロは宮廷文化を背景に育まれ、宮廷の終焉とともに、一時音楽史から消え去った楽器であることは前に述べた。そして古楽器復興の兆しとともに、楽器の性能面だけでなく、音楽を取り巻く様々な歴史的、文化的背景、考古学的側面などを巻き込みながら、復活を果たした、一種の先祖返り的楽器といえる。

これら、いにしえの時代の、しかもヨーロッパ宮廷付き一級職人の手仕事を現代にそのままの形で復活させるのは、途方もない労力を伴うし、それは当然ながらコストに反映せざるを得ない。チェンバロが高額な楽器である理由のひとつが、当時の様式に極めて忠実に復元すること、これこそが古楽器復興運動全体の、いわば錦の御旗であり、美点として語り継ぐ価値のある仕事なのであろうことは充分に納得できる。

70年代初頭、古楽の本場オランダで旗手レオンハルトに学び帰国、私設古楽研究会を主宰して多くの逸材を育てたパイオニア世代チェンバリストのひとり、故鍋島元子女史は、ひとつの大きな悩みを抱えていた。彼女のもとに集まってくる熱心な学生たちに提供できる、安価な練習用の楽器が決定的に不足していたのである。女史の所有するヨーロッパ製の楽器はまだ2台のみであった。

私は、まだ楽器製作技術は経験不足の未熟もので、試作楽器の試奏などをお願いする身分であったが、独学ゆえの情熱と大志は誰にも負けないつもりでいた。その部分を女史は評価してくれていたのだろう、学生向けの練習用チェンバロ製作の相談を頂いた。内容はかなり具体的で、要は華やかな外見など必要無し、実用性重視で低価格、表現性能に関する部分(つまりアクション系)は充分に吟味せよ、という指示であった。

女史の学んだ本場ヨーロッパには、いわゆる学生向けの安価なモデルがあるのだと聞かされた。美術系方面に挫折経験のあった私は、美しい楽器の製作に妥協したくなかったが、反面、経験不足は痛感していた。経験値は数をこなすことで得られるもので、何より自分と同世代の熱心有能な音楽学生から歓迎される確信があるなら、断る理由など無かった。

試作に選んだモデルは、迷わずフレミッシュの名器ルッカース工房の初期小型一段モデル、4ft. は省略して、いさぎよく8ft. 一列のみの簡略仕様。ジャックは市販の樹脂製も候補であったが、ここは女史の厳しいクレームが来るであろう、木製を死守した。

試作を進めながら納得したのは、装飾要素に頼らなくとも楽器というのは純粋な造形的様式美をもっているということ、いや、かえって装飾でごまかしのきかない分、素材の吟味や丁寧な加工技術が必要であった。丁度、調味料で複雑な味付けをするより、塩だけで素材の持ち味を生かすシンプルな料理の難しさのように。

意外なほど早い試作モデルの完成に、女史はことのほか喜んで、教え子の前でいつ終わるともなく、様々な暗譜の試奏を楽しんでくれた。そしてコストに影響ない範囲で、音域、特に低音部分に拡げられるなら実現してほしいと。チェンバロのレッスンには通奏低音の重要性をよく知り、実践されていた女史の意見を尊重した。

やがて私の工房にも、若い見習いが出入りするようになり、BASIC一段は製作工程を理解、実践させるための格好の教材となった。現在もこの楽器を自力で完成できることが、見習いスタッフのステップアップの一里塚なのである。

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